写真よりも肉眼で。
こんばんわ、日付が変わってちょっと立ちました。日付がたつ前から考えてたことを、ちょっと書こうと思います。
自分の中では年がら年中考えることがあって、それは悩んでるのか考えてるだけなのか、ごっちゃになることがあるんだけど。
自分は今、このままでいいのかなぁとか、何で満足いってないんだろうなぁ、とかよく考えることがあるもんで。けど、その考え方が自分を責め立てるような考え方をすることしか出来なくて、現代人で言う、すぐ死にたいとか言っちゃうこととかを考えちゃう。
ホントは死にたくなんかないんでしょうけど、よっぽど寂しくて虚しくて、自分にやるせなさを感じるようになったらそういう死を思わせる感覚を感じるのでしょうね。
毎日楽しくて、嬉しくて、もうサイコー!!みたいな人ならわざわざそんなこと思わないし。でも、そんな日は毎日続かないし、人生薔薇色に感じる人はごく希な気がする。めちゃくちゃ手に入れたいもの(夢とか目標とか)を手に入れたときは、嬉しいよね。
おもしろければ何だっていいんだけど、今おもしろくないからこういうこと考えてんだよなぁって分析しちゃってるのが、自分らしくも感じる。
いきなりなんですけど、
さっき撮った写真、どうですか。一眼じゃないけど。
汚いのはちょっとダメかなと思ったけど、隠したら違うと思って。(これ、Twitterに上げると写真でかく載るんですね、さすがにだめだから順番逆にした。)
撮る側からだと、自分の目線でいいと思えた撮画角と、カメラごしに撮ろうとする画角とか位置が違うんだよな。思った通りに撮れない。
これ撮ったあと、20歳の自分、なにか残しとかなくていいのかなって思っちゃって。
今はiPhoneとかandroidとかハイテク機械をみんな持ち歩いてるから、記録は簡単ですけど、
自分がこう思った、とか、根底にある部分を大事にしたいなぁと思った。
撮るのは誰でも出来る事だから、何を撮りたかったのかとか、その先を見せられる人になりたい。
Twitterでまわってきた、ふかわりょうが新聞で言ってたこと、理解できる。
あと最後に、
谷川俊太郎さんと、同じ誕生日なんだよなぁ。